第18回(2021年)リュー
ブルース・シャオユー・リュー(Bruce Xiaoyu Liu/刘晓禹/劉曉禹 カナダ)が優勝しました(ファイナルの演奏)。2位は二人いて、反田恭平(日本)(ファイナルの演奏)とアレクサンデル・ガジェヴ(イタリア/スロベニア)(ファイナルの演奏)。3位にマルティン・ガルシア・ガルシア(スペイン)(ファイナルの演奏)。そして、4位に小林愛実(日本)(ファイナルの演奏)が入りました。ちなみに、反田恭平氏と小林愛実氏はこのショパンコンクールのあとに結婚しています。
第17回 (2015年)ソンジン
チョ・ソンジン(Seong-Jin Cho、조성진、趙成珍)は、韓国のピアニスト。
第16回 (2010年)アヴデーエワ
ユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Avdeeva、Юлианна Андреевна Авдеева)は、ロシアのピアニスト。
第15回 (2005年)ブレハッチ
ラファウ・ブレハッチ(Rafał Blechacz)は、ポーランドのピアニスト。
第14回 (2000年) リ
ユンディ・リ(中国)が優勝。1985年にブーニンが優勝したあと、1990年、1995年は優勝者がいませんでした。そのため、リの優勝は、15年ぶりの優勝者誕生ということになります。
ショパン・コンクール 2000 sakura6809 チャンネル登録者数 6020人
第13回 (1995年) 優勝該当なし
この回も優勝者が出ませんでした。フィリップ・ジュジアーノ(フランス)、アレクセイ・スルタノフ(ロシア)の二人が2位になりました。このときの演奏を聴いていて自分は、同列2位はおかしくて、スルタノフを1位にすべきではないかと思いました。実際、スルタノフは自分が優勝ではなかったことにかなり腹を立てていたようです。
- Alexei Sultanov, 1989 Cliburn Competition Winner, Dies at 35
- A. Sultanov – Final stage – F. Chopin Fantasy A-dur op.13, F. Chopin Concert №2 f-moll op.21 (YOUTUBE)
- Scriabin Etude in C sharp minor performed by Alexei Sultanov
13th Chopin Piano Competition 1995 – japanese documentary harmony14447 チャンネル登録者数 9450人
第12回 (1990年) 優勝該当なし
この回は優勝者が出ませんでした。2位にケヴィン・ケナ―(アメリカ)。横山幸雄(日本)が3位に入賞し、5位に高橋多佳子が入賞ました。日本人としてはほかに、及川浩治、田部京子、有森博が本選に出場しています。
ショパンコンクール1990
- 横山幸雄オフィシャルサイト
- 及川浩治オフィシャルウェブサイト
- 田部京子オフィシャルウェブサイト
- 有森博の公式ホームページ
- 2015年ショパン国際ピアノコンクール高橋多佳子さんインタビュー(YAMAHA) 入賞した翌日からコンサートや録音のオファーをいただき、ただの学生が突然ピアニストになったわけです。自覚がないままに、何でも“やります”と答えて大変なスケジュールになってしまったり、“少し考えさせてください”と答えて大きなチャンスを逃したり……、
第11回 (1985年)ブーニン
ソヴィエト連邦のスタニスラフ・ブーニンが優勝。ショパンでなくてコサックダンスだなどと揶揄されたりして物議を醸した回でした。この回では、日本の小山実稚恵が4位に入賞しています。またフランスのジャン=マルク・ルイサダが5位になっています。
自分は子供のときテレビで(ラジオだったかも?)ブーニンの演奏を聴いて、そのクラシック音楽らしからぬ自由奔放な演奏表現に衝撃を受けました。また小山実稚恵の引く繊細なピアノコンチェルトのメロディーが深く印象に残りました。
この回は、日本のピアノメーカーが初めてピアノを提供しました。複数のメーカーが用意したピアノから、どのピアノを選ぶかは出演者次第です。
ショパンコンクール’85 k ytmym チャンネル登録者数 233人
第10回 (1980年) ソン
ベトナムのダン・タイ・ソンが優勝しました。日本の海老彰子が第5位に入賞しています。
第9回 (1975年)ツィメルマン
地元ポーランドのクリスティアン・ツィメルマンが優勝。いくらショパンコンクールはポーランド人に有利といえども、ツィメルマンの優勝に異議を唱える人はいなかったことでしょう。圧倒的な演奏で優勝しました。
Zimerman 1975 IX Chopin Piano Competition
第8回 (1970年)オールソン
アメリカのギャリック・オールソン(Garrick Ohlsson)が優勝。日本の内田光子が第2位でした。
第7回 (1965年)アルゲリッチ
アルゼンチンのマルタ・アルゲリッチが優勝。日本の中村紘子がこの回に第4位に入賞しています。
第6回 (1960年) ポリーニ
マウリツィオ・ポリーニはイタリアのピアニスト。ショパンコンクールはポーランド人だったショパンにちなんだポーランドで行われるコンクールなので、もともとかなりポーランド人びいきです。今でもポーランド人を入賞させることが必須だと聞いたことがあります。そのためか、第5回まではポーランド人や隣国のソ連のピアニストばかりが優勝していました。第6回めでついに、ポーランドやソ連以外の国からの優勝者が出ました。
第5回 (1955年)ハラシェヴィチ
アダム・ハラシェヴィチはポーランドのピアニスト。ちなみにこの回の2位は、ウラディーミル・アシュケナージ(ソ連)でした。
第4回 (1949年)チェルニー=ステファンスカ、ダヴィドヴィチ
ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(Halina Czerny-Stefańska)は、ポーランドの女性ピアニスト。ベラ・ミハイロヴナ・ダヴィドヴィチ(Белла Михайловна Давидович、Bella Mikhaylovna Davidovich)はソヴィエト連邦アゼルバイジャン出身のユダヤ系女性ピアニスト。
第3回 (1937年) ザーク
ヤーコフ・イズライロヴィチ・ザーク(Яков Израилевич Зак、Yakov Izrailevich Zak)はソヴィエト連邦のピアニスト
- ヤーコフ・ザーク(ウィキペディア)
第2回 (1932年)ウニンスキー
アレクサンダー・ウニンスキー(Александр Юнинский、Alexander Uninsky)は、ウクライナ出身のピアニスト。
- アレクサンダー・ウニンスキー(ウィキペディア)
第1回 (1927年)オボーリン
レフ・ニコラーエヴィチ・オボーリン(Лев Николаевич Оборин、Lev Nikolayevich Oborin)はソヴィエト連邦のピアニスト。門下に、ウラディーミル・アシュケナージ、野島稔などがいる。
- レフ・オボーリン(ウィキペディア)
参考
- ショパン国際ピアノコンクール(ウィキペディア)